2004年01月29日 (木)

ラフカイの恋心 〜パート1〜

 生理がきた。
人間の話ではない。ラフカイに、である。
家の床の上にポチポチと赤い点を作りながら歩いているけれど、一々ラフカイのお尻を追いかけて拭いて回るわけにもいかないので、この時ばかりは目を瞑ることにしている。
 犬は年に2回、だいたい春と秋ころに発情期を迎える。雌犬にとっては子作りの時期だ。私たちはこの数年間ずっとラフカイの子供を欲しいと願っているけれど、なかなか良いお相手は見つからない。
 
 前回はちょうど昨年8月のお盆も真っ盛りのころだった。誰もが何となく浮き足立ち、バタバタしている時で、自分たちもラフカイのお婿さん探しをしている余裕がなかった。
 そのまた前は2月で、ちょうど1年前。すでに高尾の空き家は見つかっていたけれど、家がまだ住める状態ではなかったので、相変わらず千葉の田中家に居候しながら、週末だけ通っては小屋の掃除や改築に精を出しているころだった。
 予想以上に早い生理の訪れに、私たちは慌てふためいて、なんとかラフカイに素敵なボーイフレンドを探そうと躍起になった。ラフカイの恋人探しが、田中家の食卓で毎日の話題に上るようになったある日、義母がフト思い出したように言った。
「そういえば、選挙事務所の近くに大きくて毛のふさふさした犬がいたじゃない?ラフカイとも仲良しだった。あれって、マラミュートじゃないの?」
「そうだ!すっかり忘れてた。こんな近くにいるじゃないかぁ」
事情のよく飲み込めていない私をさておき、田中さんはひとりで興奮している。
どうやら、近所に私たちが探し求めていたアラスカン・マラミュートが住んでいるらしいということは分かった。しかも雄犬のようだ。
「よし、早速交際を申し込んでみよう!」
 当の本人であるラフカイよりも、周りの人間のほうが物凄い盛り上がりようである。
まずは、そのマラミュートの飼い主と面識のある義父に連絡をとってもらうことにした。
幸いなことに、飼い主のHさんは事情を快く了解して下さった。「都合の良い時いつでもラフカイを連れてきてください」という有り難い言葉を受け、早速次の日に伺ってみることにした。
 
 空は快晴で、2月らしくピリリとした空気が気持ちの良い日だった。
「いったいどんな犬なんだろうね。ドキドキするねえ」と私は少し興奮気味でラフカイに話しかけながら、Hさんの家へ向かった。
 歩いて15分くらいのところにHさんのお宅はあった。一戸建てのお庭には、夏みかんが木に零れんばかりに実っている。到着するやいなや、入り口の柵越しに見えた巨大な犬がマラミュートのごんちゃんだった。ふたりが柵の隙間から視線を交わすと、興奮のあまり動きが激しくなった。お互いのことを覚えているのかは定かでないが、馬が合うのは確からしい。「早く遊びたいよー」という気持ちが手に取るように分かる。
庭の騒ぎを聞きつけて、中から出てきた50代くらいの女性が飼い主Hさんだった。笑顔の優しそうな方だ。
 挨拶を済ませて、早速ラフカイを連れて庭に入ると、もう大変である。
飛びついて、追いかけっこをして、じゃれ回って、ふたりの目に映るのはもうお互いの姿だけのようだった。
その様子が可笑しくて、Hさんと私は大笑いしながら立ち話をした。Hさんは大の犬好きで、マラミュートのごんちゃんの他にラブラドールと柴犬を飼っている。
「ごんちゃんはもう9歳だけど、雄犬だから年齢的には平気だと思うんのよね。ただ、今まで一度も雌犬と交尾させたことがないから大丈夫かしらねぇ」
「やっぱり経験て大事なんでしょうかね。私もよく分からないんですけど。気は合うようだし、うまく行くといいですよね。それにしても、ごんちゃんて大きいですねぇ。体重はどのくらいあるんですか?」
「50キロくらいはあるかしらね」
50キロというと、ラフカイの2倍以上ある。でかい。
 ふたりはもう口からヨダレを垂れ流し状態で、顔を上気させ、湯気でも出しそうな勢いで遊び回っている。そうこうしているうちに、ラフカイがごんちゃんに向けて、お尻を突き出し、尻尾をツンと持ち上げた。これは交尾期のサインである。

rahkai_gonchan.jpg
 ラフカイと昨年のボーイフレンドのごんちゃん

 犬の生理はだいたい10日ほど続き、その後に交尾期が訪れる。この時期に雄犬と交尾し、成功すると子供ができるのだ。生理の期間から雌犬は雄犬を引きつけるフェロモンをプンプンさせるのか、会う雄犬は皆、雌犬のお尻をつき回して興奮状態になる。
一方の雌犬はまだクールである。ラフカイなんかは、気に入らない雄犬に擦り寄られると、怒ってガウッと唸ったりする。ところが生理が終わるころになると、雌犬も受け入れ態勢が整うのか、今度は雄犬に会いたくて堪らない状態に突入するのだ。
 試しに、ラフカイのお尻の辺りに手を近づけてみると大体分かる。そろそろオーケーですよということなら、ごんちゃんにしたように尻尾を上げて返事をする。
ただ厳密にはいつが交尾にベストの時なのかは分からないので、タイミングを計るのは非常に難しい。雄との相性、ラフカイの精神的なコンディション、様々な要因も絡んでくる。
お陰で、過去数回トライした交尾もことごとく失敗に終わっていた。
今回こそ上手くいくのだろうか。
 お尻を向け、尻尾を上げたラフカイの後ろにごんちゃんが乗りかかった。
「キャン!」
ラフカイの悲鳴が上がり、結局2匹は離れてしまった。
「ラフカイちゃんの受け入れ態勢が、まだなのかしら」
Hさんが首を傾げる。もしかしたら、そうなのかもしれないと思いつつ、ふたりの様子を見続けた。しばらくすると、また懲りずにトライしている。
でも、なんだか・・・。
交尾に上手い下手があるのかどうかは知らないが、ごんちゃんの動きはどうもイマイチである。それに、ごんちゃんは大きすぎる体を持て余しているようでもある。
年のせいと言うより、肉付きの良さのせいで、大分息が上がってきていた。
すると、くたびれて休もうとするごんちゃんを叱咤するように、ラフカイが前足でごんちゃんをポカリと殴った。
 思わず見ている私のほうが赤面してしまった。
「ちょっとアンタ、もう少し頑張りなさいよ!」
とでも言いたげなラフカイは、百戦錬磨の女のようでもあり、妙に迫力があるのだ。
やっぱり恥ずかしい。なんだか、ごんちゃんが可哀想に思えてくる。
さすがに、疲れが出てきたのか、ごんちゃんは縁側の下に入り込んで横たわってしまった。ラフカイはまだまだ気力体力十分で、せっせと誘いに行っている様子が可笑しかった。
今日は顔合わせも出来たし、十分親しくもなったことだし、そろそろおいとますることにした。
Hさんとごんちゃんに別れの挨拶をし、また来る約束を済ませると、ごんちゃんのヨダレで背中がベトベトになったラフカイと一緒に帰途についた。
 ラフカイはまだ名残惜しそうである。
ラフカイの恋はいったいどうなるんだろう。

次回に続く

↑Top | 文:菊地千恵