2004年02月02日 (月)
ラフカイの恋心 〜パート2〜
発情期は、ラフカイにとって恋と本能の燃えたぎる時だ。
ごんちゃんと遊んだ日の帰り道、往きと同じように独り言をつぶやく私に構わず、ラフカイは至極満面の笑みをたたえ口元をゆるませていた。

ところが、家に帰ってみるとラフカイの様子がどうもおかしい。
置いてあるエサには全く手を付けようとせず、ボーっと横たわり、時折ため息までついているのだ。これって恋煩いなのだろうか。
こういう時はそっと一人にしておこう。私は気を利かせて、ラフカイを放っておくことにした。しばらくすると、今度は「ピィーッ、ピィーッ」と切なさを帯びた甲高い声が聞こえてくる。
可哀想なラフカイ。玄関先に座り込んでいるラフカイを慰めに行くために、台所を通り過ぎた。すると、床の上に敷いてあるカーペットの隅っこが囓り取られ、糸がケバケバになっているではないか。
これはもう慰めるどころではない。
「少し頭を冷やしなさ〜い」
私は茶の間の外に張り出しているベランダにラフカイを放り出した。ここはマンションの3階である。放り出しつつもラフカイのことがちょっと気になる私は、窓ガラス越しにそうっと様子を窺った。
ラフカイはベランダの柵の向こうに広がる景色を眺めているのか、遠い目をしている。そして、その目つきはどう見ても恋する女の目なのだ。
女としてラフカイに負けた・・・。素直にそう思い、少し我が身を反省してみたりもするけれど、どうせ変わらないのだからと一瞬で諦めた。
そうして、それから数十分の間、ラフカイはごんちゃんのことを思いつつ、ベランダで静かな時を過ごしているようだった。
「ピィーッ」
なんだなんだ、今度は?磨りガラスの外にラフカイが座り込んでいる。
「もう家に入れてくれ」と要求しているらしい。全くワガママな犬である。
さすがにもうほとぼりが冷めただろうと、私はラフカイを入れてやることにしたのだけれど、ベランダの中を見た瞬間、何かが変だった。でも、いったい何が変なのか、何が違っているのか分からない。7つの間違い探しクイズじゃあるまいし。
私たちのローラーブレードが転がり、折りたたみ自転車が壁に立てかけてあり、物干し竿に洗濯ばさみはいつもの風景だ。が、隅においてある植木鉢に視線が釘付けになった。
「ない」ものがあった。
植木鉢には、花と葉をすっかり落とし、元がどんな植物だったのかさえ不明な、高さ20センチほどの枯れ木の幹が残っていたはずだった。
絶対に記憶違いではないし、忽然と消えてなくなるわけがない。そうなると行き先はラフカイの腹の中しかなかった。ベランダで大人しくしていると思っていたのが甘かった。
恋狂いのラフカイの奇行はまだまだ続く。
なぜか玄関前に分厚い靴の中敷きのような物体が転がっていて、私はしばし頭を捻った。
それは、足を差し込むカバーの部分のないスリッパの底だったのだ。
夜に仕事から帰ってくるなり田中さんが素っ頓狂な声を上げる。
「何だこれはぁ?」
廊下の端にはスリッパの底よりも不可解なものが落ちていた。使い込んで黒くボロボロになった雑巾を丸めたようでもあり、しっとりと湿っている。
分析者にでもなった気分で転がしたり、いじってみたりした末にようやく判明した。
正体はラフカイの吐瀉物である。ドッグフードは食べないくせに、家中の物をしかも食べ物以外のものをムシャムシャと食いまくるラフカイに、胃もとうとう根を上げたのだ。
夕食の席で、ラフカイとごんちゃんの出会いからその日一日に渡るラフカイの恋模様を身振り手振りで説明すると、聞いている田中さんや義父母は大爆笑。私も話しながら、笑いが止まらなくなってしまった。
普段なら家族が集まっている時間には傍に寄り添っているはずが、ラフカイはやっぱり一人離れて別の部屋にいる。ラフカイ本人だけが異常に真剣なだけに、余計に可笑しさが増すのだ。
数日後、再びHさんのお宅を訪ねた。そして、ラフカイが如何にごんちゃんに夢中なのかを報告すると、Hさんも笑いながらこう言った。
「あら、ごんちゃんも同じよ〜。ラフカイちゃんが帰ったあとは全然エサを食べなくなっちゃってね。お互い恋煩いってわけね」
ふたりは、数日の別れの時間を取り戻すように、ますます勢いづいて遊んでいる。
Hさんもすっかりラフカイのことを気に入ってくれたようだ。
「せっかくだし、もし良ければ半日でも預かりますよ。また夕方あたりに迎えに来てもらえれば、それまで2匹はずっと遊んでいられるしね」
ふたりが一緒に過ごす時間が長いほうが可能性が高くなる。何よりふたりが喜んでいるし。朝から夕方まで犬を見ていてもらえるなんて、託児所ならぬ宅犬所みたいだ。
お言葉に甘えお願いすることにした。ひとまず帰ろうとする私に、Hさんは庭になっている夏みかんを摘んで、買い物袋一杯にして持たせてくれた。農薬も消毒もしていない夏みかん。柑橘特有の爽やかな香りが嬉しかった。
そうして数日の間、田中さんか私のどちらかがお供して、ラフカイが恋人のところへ通う日々は続いた。
しかし、結論から先に言ってしまうと、ラフカイに子供は出来なかった。原因は色々考えられるけれど、こればっかりは仕方がない。ラフカイがボーイフレンドに夢中になって、楽しく遊び回れたことが何よりだったのかもしれない。
結局私たちの手元に残ったのは、ラフカイの子供ではなく、ごんちゃんちの夏みかんで作ったマーマレードだった。
ラフカイの発情期になると、私たちは懲りもせず、希望に胸膨らませ、ラフカイの珍奇な行動に笑い、最後には「ああ、今回もダメかあ」と軽く失望する。でも、なんだかんだと言っても、その過程もおもしろいのだ。子犬が出来れば最高だけど。
ごんちゃんとの恋から1年。ラフカイは意外に薄情だから、昔の男など覚えていないかもしれないな。
そして、数日前に今年初めての生理が始まった。ところが今ラフカイは恋どころか、そのお相手さえいないので、私たちにとってもちょっと寂しい。山奥の集落には、格好良い雄犬より、サルやイノシシのほうが断然多いのだ。全く困ったもんだ。