2004年02月21日 (土)
無表情無感情
夜遅く、なんとなく昔を思い出しながら、いろんなことを千恵と話していたら、ふとあることを思い出した。それは2003年の夏、千恵とラフカイとぼくの3人が初めて揃ってカナダへ旅立つときの出来事だった。成田空港に到着したぼくたちは、膨大な旅の荷物を車から降ろし、カートに積んで出発ロビーへ向かった。その荷物の中に、まだ組み立てられていないプラスチックの大きなラフカイのケージ(檻)があった。
ラフカイをリーシュ(ひも)に繋いで自動ドアを通り抜け、ロビーに入ったところでチェックインカウンターを探した。間もなくラフカイは、荷物と一緒に預けられ、バンクーバーまでしばしの別れとなる。せめてカウンターまでは、檻に入れず自由にさせてやりたかった。もちろん入り口の自動ドアには「ペット禁止」のマークがありはしたのだけれど。
エントランスから、キョロキョロしながら10メートルほど進んだところで、ブルーの制服を着た若い空港警備員が近づいてきた。
「犬を連れて空港内へ入ることは禁止されています。檻に入れてください」
無表情で無感情の言葉を彼はただマニュアル通りに機械的に発した。そして、急いでケージを組み立てた。カートの荷台は傾斜があって、ケージはそのせいで傾いている。その不安定さにラフカイは怯え、尻尾を巻いて逃げまどった。そうしてなんとか、無理矢理ラフカイを檻の中に押し込むぼくたちの姿を、警備員はただ業務を遂行するという風に、相変わらず無表情のまま、まるで棒のように突っ立って見つめていた。自分でラフカイをケージに入れながら、ぼくは彼のそんな態度にだんだん腹がたってきた。胸のあたりが熱くなり、いまにも怒鳴り出しそうな衝動をこらえた。
青い男は、犬がケージに収まるのを見届けると、何も言わずさっと方向を変えて歩き去っていった。出発前のわずかな怒りと悲しみの瞬間は、意気揚々とこれからの旅路に向かおうとしていたぼくたちの気持ちを消沈させた。そのとき、あまりにも短絡的かもしれなけれどぼくは、この若い警備員の姿がどこか無機質で沈滞しているこの日本を象徴いるように思った。
同様にカナダでも、空港ロビーは原則として「犬はケージに入れなければならない」決まりになっている。が、今まで一度もロビーでラフカイをケージに入れたことはない。リーシュに繋いだまま、チェックインカウンターに並び、カウンターに辿り着いて手続きが済んでからラフカイをケージに入れた。すれ違う誰もが、ラフカイに笑顔で話しかけ、しゃがみ込んで頭をなでた。おおらかでにこやかな、自由な空気がそこにはあった。どこにも青い男は存在しなかった。構内をMTBで走り回る空港警察官でさえ、自転車を停め「いい犬だね。なんていう名前だい?種類は?」と逆に好奇を向けてきたものだ。
こういう些細な日常の出来事に、じつは世の中の多くのことが象徴されているようにぼくは思う。どうして青い男は、大して重要でもないようなルールにそこまでしばられなければならないのか?原則にルールはあるけれど、それが容認できるものであれば大雑把に例外とすることも、ときには必要なのではないだろうかとぼくは思う。それに何故あれほどまで無表情で無感動でいられるのか、ぼくには今持って彼の心の内が理解できない。おそらく一生あのような人種は理解不能だと思うが。
「だいたい」で済むことは、それでいい。「大雑把」でいいのだ。ホントウニいけないことだけ、しっかりルールに従えばいい。そうしないと、だんだん顔から心がはがれていってしまう。
↑Top | 文:田中勝之