2004年02月11日 (水)

裏山大好き

 「裏山」と聞くと、どうも心の底を擽られたようにムラムラワクワクしてしまうのは私だけなのかな。数千メートルの立派な名の付く山でもなく、遠い異国の土地でもなく、原野の中を流れる河でもない。それでも、やっぱり「裏山」には他のどれもが持っていない魅力があるような気がする。
 子供のころの遊び場は家の裏に広がる松林だった。太平洋から吹き付ける風を遮るための防風林。林の中を自由気ままに走り抜けると、砂浜が現れ、その向こうに海が広がっていた。竹林に秘密の隠れ家を作って遊び場にしたり、近所のおばさんちを訪ねては庭にあるお気に入りの銀杏の木によじ登った。一番下に張り出した太い枝に腰を下ろすと、ちょうど良い高さにもう2本枝が伸びていた。ここに板をのせると具合のよい机のようになり、まるで自分だけの樹上の書斎のようになった。何をするでもなく、ぼんやりとしていただけと思うけれど、妙に幸せだった記憶がある。
自分の周囲が世界のすべてであり、想像力を張り巡らせて遊ぶには充分すぎる空間。
 「裏山」はそんな昔の記憶にどこかでリンクするのかもしれない。
 
 現在私たちが住んでいる集落は、前も後ろも右も左も山に囲まれている。平地は僅かで、山を背に張り付くようにして、ぽつりぽつりと家が建っている。陽当たりの良い場所に開かれた畑もみな一様に傾斜地だ。
 ここに住んで良かったのは、どこに足を伸ばしても良い散歩コースになることだった。その中でも、小屋の裏手からそのまま登ることのできる裏山が大のお気に入りだ。
 昨年の初冬ころ、それまで一度も登ったことのなかった裏山のてっぺんを突然見てみたくなって、ラフカイを連れて2人で散歩に出た。
 植林された杉檜の林の中は薄暗い。細く続く林道の足場は悪くないけれど、なかなか急勾配である。出だしほんの数分で、軟弱者の田中さんも私もヒーヒー言って「もういっか。そろそろ帰るか〜」などと言い出すが、ラフカイだけが先頭切って行く気満々である。
ラフカイのためにもう少し踏ん張って歩いていくと、ようやく傾斜が緩くなり、それと同時に周囲の木々に広葉樹が混じり始めた。光が入り、森の雰囲気が明るくなった。足下に積もった枯れ葉がサクサク言っている。
「うわ〜っ、いいねえ」
 こうなると疲れなどはすっかり忘れて、大はしゃぎしながら歩くことになる。
枯れて茶色に染まった落ち葉の間にはドングリの実がたくさん落ちていた。思わず一粒拾ってみると、ドングリには尻尾が生えていた。いやいや、それは尻尾ではなかった。ドングリの根である。こんなに小さいのに!ちゃんと生きてるんだなあと驚いてしまう。
たぶん地面に落っこちた数百数千のドングリのうち、芽を出し、大木に成長するのはほんの僅かなのだろうな。がんばれよ〜、と思わず声を掛けたくなった。
 20分ほど歩き続けると、目の前にどっしりと大きな山桜の木が立っていた。
遠く人混みに出て行かなくとも、春になったらここで花見ができるんだ。冬の日に、数ヶ月後に訪れるだろう春の風景を思い浮かべたら、無性に嬉しくなった。
 もうそろそろ山の尾根のようだ。100メートルも上がると、空が開けた。たどり着いてみると、尾根一帯は冬枯れで明るい、私の大好きな広葉樹の森だった。
大きく枝を広げた樹々の隙間から空と周囲の山並みがよく見える。冬の空を画用紙に、枝という枝が縦横無尽に這い回り幾何学模様を描く。一見無秩序にも思える自然の造形は、いくら見続けても飽きることがない。美しくて、そして心をフッと解放してくれるような力がある。
 こんな素敵なところを、この土地へ引っ越してきて半年以上経つまで知らなかったなんて大損した気分だ。あまりの気持ちの良さに、地面の上にゴロンと転がってみると、落ち葉の少し甘くて香ばしい匂いがする。背中を通して、太陽の光を吸い込んだ枯れ葉の温もりが伝わってきて、ぽーっと幸せになった。
 
urayama.jpg
 大好きな裏山のてっぺん 

 そんな我が家の裏山へ今日も登って来た。
 水道管のどこかに亀裂が入ってしまったのか、台所裏から流れ出る水が地面に吸い込まれることなく、そのまま庭先で凍りついてしまった朝。真っ白い霜が降り、水道の蛇口も休眠中なのに、空気にも光にも春への微かな気配を感じる。
その嬉しさに背中を押されるようにして、みんなで散歩に出た。
ミツバツツジの枝はもうふっくらとした芽にあふれている。山道の途中で、ちっぽりと緑の葉を開き始めた小木に出会う。そんな僅かな変化が嬉しい。
 ここは猪の通り道でもあるようだ。銀杏混じりの猪の糞が落ちている。それに負けじと、ラフカイも健康そうな糞をポトポト落とした。帰り道、足下には要注意。
 てっぺん間近で、急に人が現れて驚いた。ここで人に会うのは初めてなのだ。おじさんはオレンジ色のベストを羽織り、一見でハンターだと分かる。
「こんにちは」
声を掛けると、おっとりとした口調で返事が返ってきた。言葉の端々に耳慣れないアクセントを感じる。山梨あたりから来た方なのかしら。
 狩猟期に入ってから集落の周辺で時折鉄砲打ちの人たちを見かけていたが、どうも態度が横柄な感じの人が多く、あまりいい感じはしなかった。これは個人的な偏見が混じっている。けれど、今目の前でトランシーバーを片手に北向こうの尾根を眺めている、このおじさんはとても感じが良かった。
「今、あすこで1匹猪を打ったところだよ」
きっとハンター仲間数人で猪を追っているのだろう。
大きさを訪ねると「30貫目」という答えが返ってきたのだが、貫目には馴染みがないので、さっぱりピンとこない。
「貫目ってよく分からないんですけど、何キロくらいなんでしょうか」
「そうだね、120キロくらいかね」
120キロ!カナダでしょっちゅう出会っていた黒熊だって、せいぜい100キロ前後だから、猪とはそんなに大きな動物だったのか。
「昨日の晩は、ここいらにたくさん猪が来てたよ。そこの平らなとこに10頭ばかりいたかな。みんなどんぐり拾ってるから、穴だらけだよ」
「猪って1匹オオカミみたいに行動するのかと思ってたけど、集団で動くんですねえ」
「そうだね、昨晩のはひとつのファミリーだな」
意外だった。それにしても、家の裏で猪たちが家族の集いを持っていたとは・・・夢にも思わなかった。
 おじさんは、仲間内とトランシーバーで連絡を取り合いながら、おにぎりを頬張っている。今度はそこへ尾根の上からもう一人の鉄砲打ちが下りてきた。肩に22口径の猟銃を担ぐその人をぐいぐい引っ張って来るのは、2頭の猟犬だった。
黒焦げ茶の短い毛に包まれた犬たちの体は、無駄が無く筋肉のラインが見える。あまり見かけぬ犬種なので尋ねてみた。
「プロットハウンドっていう犬ですよ。猪やってる人はよく連れてますよね」
「へええ、猪を追うなんて逞しい。ラフカイなんて、へなちょこだからなあ」
「ここ、猪にやられて縫ったんですよ」
おじさんが示してくれた1頭の左肩の辺りは、大きく毛が剃られて、治りかけの傷口が見えた。ひえ〜、猪恐ろしい。
「もう12回くらいやられてるかなあ」
「でも、犬の自然治癒力ってすごいですよね。届くところだったら、ほとんど舐めて直しちゃいますもんね」
 動物は野生に近いほど、その治癒力も高まるのだろうか。人間なんて、あすこが痛い、どこが悪いと言っては、何種類もの薬を飲み続けるのを思うと、全く動物たちの足下にも及ばない気がしてきた。
 ひとしきり話をすると、おじさん2人と2匹の犬たちは連れだって山を下りて行った。きっとこれから、捕らえた猪を仲間とともに山から降ろして、解体作業をするのだろうな。
思わず付いていって、現場を見たい衝動に駆られたが、今日は諦めた。
そのうちチャンスがあれば、狩猟にもついていってみたい、日本のハンティングの世界ものぞいてみたい。

hunting_dogs.jpg
 鉄砲打ちのおじさんと賢そうな猟犬たち

 誰にも出会わない静かな散歩も楽しいけれど、思わぬところで人に会って話をできるのもとても楽しい。
 山を下りると、庭の氷は消え去っていた。水道から吹き出す沢水が、乾いた喉を流れ落ちる。今日の裏山も最高だった。

↑Top | 文:菊地千恵