2004年02月11日 (水)
ありがたき森と清流 〜1〜
ぼくがこの山里から下界に降りて行くのは月に5日ほど。大学を卒業して以来、ずっとアシスタントをしてきた東京は西荻窪の作家事務所へアルバイトに出かけるためだ。冬の時期は、道路が凍結したり雪が積もったりするので、家から9キロ山を下ったバス停まで千恵に車で送ってもらっている。でも実は寒いから自転車を漕ぐのが億劫なだけなのだが・・・じっさい今年は雪積もないし凍結もしていない。
そして今日(2月3日のこと。グータラで投稿が遅れてしまった)はその5分の1日。例のごとく千恵にバス停まで送ってもらうことにする。朝7時半起床、8時半出発のつもりが、山里グータラ暮らしでついた癖で、一度は目覚ましで起きたものの、無意識のうちに二度寝してしまい9時半起床、10時半出発と随分出遅れてしまった。つまり遅刻。作家事務所は朝の10時から始まるというのに、家を出たのがすでに10時半なのだから、やっぱりぼくは出勤という行為に不向きなのだと実感する。毎朝決まった時間に起き、決まった場所へ行き、労働して夜遅くに帰宅するというルーティーンは、ぼくの身体と心には猛毒だ。それでも、最低限の生活費は稼がなければならないから仕方がない。それに、ときには街の刺激も必要か???
我が家は小高い山々の尾根に挟まれた、小さな谷間の渓流沿いにあり、家のすぐ下をヤマメが棲息する美しく細い沢が輝きながら流れている。窓から見える範囲には、坂下50メートルほどのところに2軒の家があるだけだ。対岸には炭焼き小屋があり、炭を焼く煙が立ち上り、我が家の薪ストーブの煙突から上がる煙と混じり合って、あたりを香ばしい匂いで包んでいる。立ち小便をしながら、空気をいっぱい胸に吸い込むと、森の香りが肺を満たす。針葉樹と葉の落ちた落葉樹の混じり合う山肌は、どれほど完璧に設計されたピカピカの都市より数万倍美しくぼくの眼に映る。そうして、大気に身体が洗われ、緑の風景が心に優しく浸みてくる。

ストーブの煙突からは絶え間なく煙が立ち上る
そんな山里から、車がすれ違うことのできない狭い道路(醍醐林道)がクネクネと川の流れに沿って下界へと続いている。家を出ると車のエンジンをかけ、しばらく暖機運転してからバス停を目指して出発した。バス停までは、15分ほど。先へ進むほどに風景の中の人工物が増えていく。川には護岸が施され、流れも少しずつ濁りはじめる。我が家の周辺では、古い日本式の立派な木造住宅が多いが、下へ行けば行くほど、プラスチックやアルミの外壁の「ハリボテ・ハウス」が増えてくる。建て売り住宅はもっとも醜く、同じ形で同じ色の家屋が横に仲良く何軒も立ち並んでいる。そういう見慣れた?(最近は山奥に籠もってばかりいるから珍しくなってきている)景色があたりを満たし始めた頃、車はバス停近くのコンビニに着いた。
[あぁ、山の家に帰りたい・・・はぁ・・・]
この区間で、すでにげんなりし始める。
ところが、バス停は高尾とあきる野を結ぶ幹線道路沿いにあり、大型トラックやダンプが行き交う、排気ガスの園。その異臭と騒音に、頭痛。このまま都心などに出ていったら、息絶えてしまうのではないか、と思いつつ、マジメなぼくはバスに乗って高尾駅へ向かう。
幸いなことに、中央線の始発駅である高尾は、朝も人でごった返すということはない。通勤快速もガラガラで、いつでも座っていける。が、都心に近づくにつれて、どやどやと各駅から通勤人が乗り込んできて、いつのまにやら車両は窓の外も見えないほど満員になっていく。心に余裕のない人々のしかめっ面が、ぼくの周りを取り囲む。
[あぁ、もう窓からでも飛び降りて、歩いて山の家に帰ろうかな・・・]
ドドン、ガガンと音を立てて電車が向かっていく方向とは反対に、ぼくの心は山を見ている。
〜2〜 へ続く
↑Top | 文:田中勝之