2004年02月20日 (金)
夢追い人たち
この世に生を受けたぼくたちは、誰もがみな共通の不偏なゴールを持っている。そこへ向かって、決して後戻りすることなく、ぼくたちは時を前進し続けていく。いつ辿り着くか知れないゴール、それは「死」。ぼくは、そのゴールをいつも心の片隅にとどめいる。なんとなく生きるのではなく、目的を持って生きていきたい。そして、ゴールに到達したときには「充分楽しんだよ」と、笑っておさらばしたい。そのために、燃え尽きるまでがむしゃらに走っていたい。
そう、ぼくが極北の原野で出会った旅人たちは皆、生を完全燃焼している人たちばかりだった。アラスカの小さな村で生まれ育った65歳になる男は、筋肉だらけのゴツイ身体でカヌーを漕ぎ、マッケンジー河を北極海へ向かっていた。
「60から、カヌートリップをはじめたんだ。毎夏1000キロ以上を漕ぐことを目標にな」
そしてすでに5年が経っていた。彼の好奇心と行動力は衰えることなく、いや、益々旺盛になっているようだった。その瞳は、極北の夏の夕焼け空を見つめながら深く輝いていた。
別の74歳になる小柄な老人は、
「妻と娘に止められたけど、俺の人生さ、やりたいようにやるさ」
と、やはりマッケンジーに漕ぎ出していった。1800kmの広大な原野を流れる原始の河は、若者にとっても過酷な世界だというのに、老人は屈託のない笑顔で、いかにも楽しげに、爽快に、パドルを一漕ぎずつ着実に大河に刻んでいった。
前を向き、未来を見つめ、今を生きる人々。ぼくが大好きな人たち。決して「羨ましい」とか「もう歳だから・・・」などとは口にしない。対等に夢を語り合える夢追い人たち。何事も諦めることのない生命力が全身からみなぎっていた。厳しい原野を生き抜く野生動物たちのように。
ぼくは命を燃やす旅の舞台を、いつしかカナダ極北に決めていた。そこは、原始のままの計り知れない広さと奥深さを持つ世界だ。短いひとつの人生では、その一端にほんのわずかな足跡しか残せないだろう。それでも、心の赴くままに、風のように旅していきたい。そしていつの日か、その大地とぼくが共鳴したとき、永久凍土にねばり強く生える針葉樹のように根を張ってそこに暮らしていけたらと思う。
今は、その入り口に向かっての準備段階なのだと思う。ここ東京西端の山里は、本当の森の暮らしへ旅立つ前の、ちょっとした練習舞台なのだ。日々の薪割りや大工仕事、山歩き、山菜採りなどは、いつかやってくる極北暮らしのための小さな実践。そして、少しずつ旅のイメージとは別のところで、極北暮らしのイメージが育ちつつある。それは、またの機会に書くことにしよう。