2004年03月03日 (水)

怒りの記

 腹が立った。
むかつくこと、この上ないのである。
 いったい何をそんなにプンプンしているか、という原因は散歩の先にあった。
 今日は久しぶりに、家の前を沢沿いに走る和田峠方面への道を歩いた。家を出発し、ほぼ直角に近いカーブをまわると集落最後の家並みが続く。右手、山を背にぽつりぽつりと家が建つ。さらに足を進めると、沢を挟んで開けた対岸には、昔茅葺き屋根であっただろうが今は瓦にふき替えられたどっしりとした造りの日本家屋が数軒見える。
沢を左手に見下ろしながら、のろのろ歩く。1キロも歩かないうちに最後の一軒を通り過ぎると、この先は6キロほど道の奥に位置する和田峠までは人家はなく、山がひたすら続くのみである。
 途中一部が砂利である以外はほとんど舗装道路だが、なかなか気持ちの良い散歩道になる。はずなのだが、集落を越えて数百メートルも行くと、道の両端草むらのあちこちに紙切れやジュースの缶やら散らばっている。
 この時期はほとんど人も車も通らない場所だが、暖かい季節はドライブやピクニックがてらフラリとやってくる人もいる。通りすがりに、ものを食べたり飲んだりして、そのままポイとやってゆくのだろう。もちろん、そんな人ばかりでないのは分かっている。
 時折、砂利の敷かれた林道の奥に行って唖然とすることがある。そんな場所にでさえ、ボロボロになったスクーターや古タイヤなどが転がっていたりするのだ。
 人家の途切れる、人目のつかないような道路脇にはよく黄色の「不法投棄禁止」の看板が軒並み立ち並んでいるが、ほとんど効果がないような気がする。
不法投棄に頭を悩ませているのは、きっと我が家の周辺のように、ちょっと行けば山や沢があり、目の届きにくい町の外れに多いのだろう。監視する術がないのである。
 ラフカイと散歩をしていると、彼女が道ばたに落とすのはウンコと小便である。そんなものは放っておけば土に還る。人間は脆弱だから、ありとあらゆる工業製品に囲まれ、その中で生きている。それらの物は、すでに自然の循環という大きなサイクルの中からは外れてしまう物ばかりである。ポイと外に放り出しておいても、そう簡単には自然に還ってくれない。それどころか、山の風景の中に汚点のように存在していて、恐ろしく見苦しいのだ。何も物を使わず仙人のじいさんみたいに暮らすべきだなどと言いたいのではなく、使うのなら最後まで責任を持って欲しいと思う。 
それは少なくとも、私たち人間の自然に対するエチケットではないか。
 こっそりと不法投棄に来る輩、ポイポイ野別幕無くゴミを放り投げる人たち。
あなたたちの脳みそは、そんな下らないことをするためについているのか? 
あなたたちのハートは何も感じることができないほどカチカチなのか?
 ただ有りの儘で存在するだけで美しい野山を思えば、そんなことは出来ないはずだろう。
 気分転換の散歩に出掛けて、腹を立てるのは悲しかった。
 しかし、そんなバカヤロー共をいつか見かけたら、ラフカイにガブリとひと噛みやってもらって、沢に放り投げてやりたい、と思う。

↑Top | 文:菊地千恵