2004年03月29日 (月)

人生の持ち時間

 私が過去に何度か訪れ、長い時では半年以上も滞在した北極圏に近いある村から、一人の友人の死の知らせが届いた。
 彼はたぶん70代後半、決して年齢的には若いとは言えなかったけれど、小柄な体は逞しく、4輪バギーやスノーモービルを乗り回して、森にもよく一人で出掛ける人だった。
 何より彼の飄々として、ちょっととぼけたようなところが、一緒にいると何とも可笑しく、いつもほのぼのと幸せな気持ちにさせてくれる人柄だったから、きっと長生きするのだろう、村へゆけばまた会えるのだろうと私は勝手に思い込んでいた。
 大好きな人だった。
 だから、その知らせはまさに晴天の霹靂で、彼が亡くなったということを未だに実感できないでいる。思いを、何万キロも離れた極北の村へ飛ばしても、やっぱり彼は変わらぬそぶりで「やあ」と手を上げてくれるような気がするのだ。
 彼は、冬晴れの暖かな日にスノーモービルで出掛けていったきり、戻っては来なかった。
結局、数日後心配して捜索に出掛けた村人たちによって、川の上で凍死しているのを発見されたのだ。彼を死に追いやった原因はまだ詳しくは分からないが、スノーモービルが突然故障し、村へ歩いて帰る途中で力尽きたのではないかと言われている。
 冬が1年の7ヶ月近くを占め、極寒期にはマイナス50度にも下がる彼の地では、凍死という言葉は決して稀ではない。一度その冬を経験している私も、そこが一歩間違えば死と隣り合わせの厳しい土地であるということを、日本の穏やかな冬を過ごしているうちにすっかり忘れ去っていた。
けれど、どうしてもどうしても友人と凍死ということが私の頭の中で結びつかない。
 2000年から1年間、私はカナダ北部のマッケンジー河流域の村や森や川べりで、先住民の友人達と多くの時を過ごした。
数え切れない程の動物や魚を殺し、食べて暮らした。その間に思いも寄らぬ身近な人の死もあった。動物や人間に関わらず、身の回りには多くの死が存在していた。
 それから数年、日本をカナダの行き来を繰り返す中で、どういう訳か日本にいる間に限って、北に住む友人の死が伝わってくる。
 同い年だったフィドル弾きの青年。森での暮らしを誰よりも愛していた彼は、偶然乗り込んだ小型機がひどい吹雪きに遭って、墜落死した。もっともっと彼と話をしたかった。
そして、もっと彼の音楽と物語を多くの人に聞かせて欲しかった。たくさんの人に愛されていた彼がなぜこんなに早く逝かなければならないのか、そればかりを考えた。
 一冬をまるで家族のように一緒に過ごしてくれたデネのおばあさんが昨年亡くなった。癌だった。
 人生には、人それぞれの持ち時間というものがあるのだろうか。
例え、人間であろうと、森に住む熊や狐、兎の動物でも川を泳ぐ魚でも地をはう昆虫でも、誰の上にも死は冷酷な程平等に降り下りる。
しかし、その持ち時間は、時に悔しくて叫び出したいほど不平等だ。
 フッと遭遇する親しい人の死は、日常をぼんやりと暮らしている自分の生を恐ろしいくらいクッキリと浮かび上がらせる。
人生の持ち時間は、限られているのだよ、と。
 死んでしまった人が再び帰ってくることはないけれど、だからと言って、すべてがなかったかの如く無に還ってしまう訳ではない、と思う。
 亡くなってしまった人も、その人と共に紡ぎ出した時も、小さなかけらとなって、自分の中に取り込まれ一部となって生きていくような、そんな気がするのだ。
大切にしたいと思う。
 先のことは誰にも分からない。やりたいと思ったときに行動する瞬発力だけは忘れたくない。
 今年の夏は、再び旅に出ようと思う。

↑Top | 文:菊地千恵