2004年05月17日 (月)
ご飯と木のいい関係
パンもパスタも蕎麦も旨いが、何のかんの言ってもご飯が一番!と思う私は、紛れもない日本人。だからこそ、ご飯は美味しく炊いて、それを心から「おいしいね〜」と言いながら食べたいと思う。
昨年春、ふたりで暮らし始めたときの家財道具はとにかく少なかった。
家電から日用品に至るまで、同時期にタイミング良く一人暮らしから実家暮らしに切り替えた弟からのお下がり、実家のあちらこちらに使われずに仕舞われていたもの、新しい土地で知り合いになった方からの差し入れ等で賄われ、まさに貰い物拾い物人生という順調なスタートを切ったのだった。
炊飯器も実家に転がっていたのを頂戴してきた。私の両親は、人間が食べる分とは別に飼い犬用に古米を炊いていたので、そのために購入したようだが、結局買ったきり使わず終いだったらしい。一応新品である。
醍醐と呼ばれる山間の集落に越してきて、とかく幸せだったのは水がうまいということだった。近隣の家の多くが、自分の家の裏山や傍を流れる沢筋から直接パイプで水を引く、ということが当たり前な風景から、この地は本当に水が豊かなのだと分かる。
この集落には、いわゆる市の管理する水道というものはきていない。各家の蛇口をひねるとこぼれ落ちる水は、集落から数キロほど上流に位置する枝沢を水源に簡易浄化した水で、集落が共同で引いているものだ。山を下り、森の間を流れてきた水にほとんど手を加えていないから、口当たりもやわらかく、甘みもある。
こんなおいしい水で米を炊けば、ご飯が美味しくならないはずがない、と喜びいっぱい意気込んでいた私は、炊飯器の中をのぞき込む度にがっくり肩を落とした。
炊きあがったご飯に艶はなく、パサパサしているのだ。
原因はまず炊飯器にあるようだった。今時の高級な炊飯器であれば、釜も厚手で圧力もかかってうまく炊けるのだろうが、何せワンこ用に使われるはずだった飯炊き器にそんな期待をしても無駄というもので、釜は薄っぺら。さらに拍車をかけるのは、ふたり暮らしで一度に炊く絶対量が少ないということだ。
しかし、ご飯をまずく炊くなんて、全く許せん。
私は炊飯器に対して八つ当たりをして、「もう使わないもんね」と押入の隅に追いやってしまった。そして行き着く先は、やはり鍋とガスである。ふと考えてみると、キャンプ生活のときはすべて焚き火、旅先の日常生活でもガスや電気で鍋を使って飯を炊いていたのだから、それと全く同じではないか。慣れてしまえば大した手間ではないと思い出した私は、あっさり鍋派に転向した。
ステンレスの厚手鍋を使い始めた私は、蒸らし終えて、鍋の蓋の下から現れるぴかぴかつやつやのご飯が嬉しかった。ふたりのときは小さな鍋で、友達や訪問客のいるときは人数に合わせて、一回り、二回り大きな鍋で炊く。
「御飯が美味しいね」
そんな言葉に出会うと、ますます嬉しくなってニコニコ顔。
そう、お米には、いい水が必要なんだよねって思う。
ところが、鍋で炊くご飯に満足しつつも、時折「うむむむむ」と私は頭を捻る。
どんなにしゃもじでかき混ぜても、少し時間の経ったご飯は鍋の底で蒸れて固まる。
例えば、酒飲みが集まったとき。まずは炊きあがった飯とおかずをしっかり食べて、それからお酒タイプの私は良いが、「飯は最後に」の友人にお茶碗を差し出す頃には、すっかりぼってり飯になってしまう。そんな時、いつも気になるはお櫃の存在だった。お櫃があれば、ご飯はもっと美味しくなるのかな、私の頭はぼんやり考えていた。
最近ひょんなことから、川越に曲げ物、竹細工の専門店が有ることを知った。お店のご主人自らが、曲げのお櫃やセイロを作る職人であるようだった。
ある日、用があって入間方面に出掛ける際に、思い切ってそのお店まで足を伸ばしてみることにした。
今回行って初めて知ったのだけれど、川越は小江戸とも呼ばれ、古い家屋や町並みが素敵な雰囲気溢れる町だった。商店街の並びの一角に、麻彦商店という目指す店はあった。
こぢんまりとした店内には、竹や木を材にした台所用品、蕎麦打ち道具、篭類などが壁の棚びっしりと並び、天井からもぶら下がっているが、並びはすっきりしていた見易い。目移りして、軽い興奮状態に陥りそうになるのを押さえるように、まずはお櫃を探しに来たことを伝えると、とても感じの良さそうなご主人が満面の笑みで、商品を見せて説明してくれる。
桶のような形の江戸型と呼ばれるお櫃と異なり、ここのお櫃は曲げものである。薄い檜の板を湯で温めて、円上に曲げる。つなぎ目を桜の皮で編み上げたこの部分が胴になり、蓋と底板はサワラの板で出来ている。まん丸い形も、細かい部分の細工も素敵だ。
これは個人的な好みなのだけれど、私は江戸型よりも柔らかな感じのする曲げの形が好きだ。それに、曲げのお櫃だったら、時々好きで握るおにぎりを入れておくのにもぴったりのような気がする。
「私は、小さなお櫃をお昼のお弁当替わりに使ってご飯をつめて店に持ってくるんですよ」
「へええ。ところで、お櫃って大切に使うとどのくらいもつんですか?」
「けっこう長く使えますよ。お弁当替わりのお櫃だって、いつから使ってるんだっけね」
ご主人は一緒に店番をされている奥さんに話を振る。
「確か、昭和55年くらいからだったと思います。毎日のように使ってますからね」
「それじゃ、25年近いですよね。すごいなあ」
ああ、長く使えるものはいいなあと思う。
隣の田中さんは「これがいいよ〜。これで決まりだ〜」と子供のようにはしゃいでいる。
いつ友達が来ても大丈夫なように、いずれ家族が増えてもいいように(?)、私たちは5合サイズのお櫃を選んだ。
会計前に、お店の奥の部屋に重なり積まれた大型の飴色のセイロに目がとまり、尋ねてみると、それらはすべて修理のために持ち込まれた商品だと言う。
「ほら、セイロってお祝い事とか記念の日にお赤飯炊いたりで、家族の思い出がいっぱい詰まってるじゃないですか。だから、みなさん捨てられないみたいで、なるべく直して使いたいって思うようですねえ」
「もう何度も何度も修理を頼まれて、もうこれ以上直せないなあっていうものまで来るんですよね」
そう言うご主人の表情を見ていると、手のかかる我が子が可愛くて仕方がないという感じで、愛情持って仕事をされているのがありありと分かって、いいなあと思う。
あのセイロたちも、初めはきっと、私がこれから手にしようとしているお櫃と同じようい白木の肌色だったに違いない。それが暮らしの中で人の手に使われ、思い出とともに、色を重ねて今の姿になったのだ。作り手が見えること、壊れてもポイすることなく、直してもらいながら使い続けられることは大切だと思う。私もいつかきっとお世話になるのだろうなあ、と思ったら心が温かくなった。私は良い買い物をした以上に、何だか素敵なものを頂いたような気分になって帰宅した。
明くる日、いつものように鍋で炊きあがったご飯をお櫃に移してみる。
本当にご飯に変化はあるのだろうか。ドキドキして、心が躍る。
ふたりで食卓について、そうっとのぞき込むように、蓋を開けてみた。湯気とともに、サワラの木が香る。
「あっ、米粒が立ってる」
「一粒一粒生きてるみたいだね」
口に入れてみたら、それが尚一層よく分かる。お米の粒がそれぞれ自己主張してるみたい。いつものような余分な湿気はなくなって、その代わりに空気をたっぷり含んだようで、ほっこりほろほろする。
「ああ、おいしいね」
そんな言葉が素直に出てくる。
昔の人はすごいなあと思う。お釜で炊いたご飯をお櫃に移すのは、別にお釜をどすんと食卓に置くのが大変だったからではなく、木の器に一旦寝かせたご飯が一番おいしいことを知っていたから、なのだろう。日本のご先祖様たちは、そんなところにも繊細な感性を持っていたのに違いない。
三十路を目前にしてもなお、「ドスドス足音を立てて走らない!少しは気遣いってものをしなさ〜い。全く行動が荒っぽいんだから」と実家の母に代わって田中氏に毎日のように叱られる、そんながさつな私でも、丸みを帯びた柔らかい木のお櫃に触れるときは、なぜか少し優しい気持ちになって、そっと扱いたくなる。
ああ、神様。この先数十年は、このお櫃を壊さずに大切に使える私でありますように。
我が家へ来るみんなとも美味しいご飯を一緒に食べられますように。
◆川越にある竹細工、曲げ物専門店「麻彦商店」のホームページ◆
曲げ物の商品、興味のある方にはお勧めです!
ご主人の矢島さんも奥様もとても素敵です。