2005年02月09日 (水)
鍋の湯
最近、密やかな楽しみがある。
それは、大鍋一杯に沸かしたお湯で洗髪すること。
事の発端は、冬の寒さが厳しくなり、薪風呂をこまめに沸かす気力が萎えたころ、頭だけをどうしても洗いたくなってしまったからだった。
その鍋の湯洗髪を思い付く前、もっと以前から気になりつつ実行までに至らなかったことがある。それは、市販のシャンプーの代わりにお酢を使って髪の毛を洗うという、どこかの美容師さんが実際お店で実践している方法である。
山の集落に住むようになってから、それまで余り考えることもなく、日常的に使っていたものが、「なんだ。実はいらなかったんだ」と気がついて、どんどん削ぎ落とされていった。下水道も浄化槽もない土地では、汚水は隣を流れる沢に流れ込んでいく。別に環境のためだから!という意気込みではなく、いつも傍を流れてくれるこの沢がきれいなままでいて欲しいなあという素朴な思いと、科学合成で作られたものよりも自然に近い素材でできたものを使うほうが断然気持ちがいい、という単純な理由から、台所や風呂場に置かれるものが少しずつ、気がつく頃には結構色んな部分が変わっていた。
今の世の中、店に一歩入れば、台所、風呂にトイレに床用洗剤、それに加えて除菌殺菌なんとやらと目が回るほどの商品が陳列されていて、思考の単純な私は「そんなに必要なんかい?」と思ってしまう。身の回りは、なるべくシンプルでいるほうが気分がいい。
かくして、我が家の掃除グッズはキッチン水回りを含め、場所を問わず、石鹸、お酢、重曹に薪ストーブから出る灰で済んでしまうことになった。歯磨き粉代わりに重曹を、洗濯には粉石鹸、風呂場に至ってはサワラの木製の浴槽を亀の子束子と水でごしごし洗うだけである。
ところが、その中で唯一断ち切れなかったのがシャンプーだった。
いったいお酢だけで、どれほど洗えるものか、本当に快適なのか。何はともあれ実験して体感してから考えてみようと、鍋の湯洗髪を機に私は思い立った。しかし、ただお酢を使うのもあじけなく、ホワイトビネガーに乾燥ラベンダーをつけ込むと、瓶の中には淡いピンクのラベンダー香のお酢が出来上がった。
ある日、私は大鍋で沸かしたお湯を洗面器にたっぷり張ると、さじ一杯ほどのお酢を落として、ゴシゴシと頭を洗い始めた。しばらく頭皮を擦ると、両手の平についた脂のヌルヌルぶりとその量に私は仰天した。
一般にシャンプーの洗浄力はとても強いため、それに対応して頭は一生懸命脂を出し続けるのだ、とお酢洗髪を勧める美容師さんは書いていたが、本当にそうかもしれないと思った。
「私の頭皮よ、もうそんなに張り切って、脂を出さなくていいからね」
そう思いながら、私はお湯を替え、頭をすすいで流した。お酢洗髪の良い所は、シャンプーのように、何度も何度も流す必要がないということだった。
最後の残り湯でタオルを絞り、体まで拭き取ると、髪の毛と体だけでなく、気分まで清々しくなっていた。私はお酢洗髪がとても気に入ってしまったのだ。
一年カナダの北極圏に滞在していた冬、私は村から遠く離れた、大きな湖沿いのキャビンで過ごしていた。湖は凍り付き、どこまででも自由に歩くことが出来た。湖面に積もった新雪を集めて溶かし、飲み水を作り、湖の厚い氷を割ってくみ出した水は洗い物その他に使い回した。寒さと乾燥からあまり風呂に入りたいともシャワーを浴びたいとも思わなかったが、それでも時折頭を洗いたくなると、薪ストーブで沸かした湯で洗髪していた。
無性に体を洗いたくなった時は一日がかりの仕事である。外で大きな焚き火を起こし、湖の水を汲み入れたドラム缶で大量の湯を沸かすと、キャビンの一角に天井から吊したビニールシートで囲いを作り、シャワー口をつけた水ポリタンクをぶら下げ、巨大な金ダライの中に立って、シャワーを浴びるのは最高の贅沢でもあり、楽しみでもあった。
それに比べれば、台所のガス台がある今はずっと便利で、すぐにお湯を沸かせることはささやかな幸せでもある。
風呂場で始めた洗髪は、段々と場所を変え、何時の間にやら部屋の片隅で行われるようになった。板の間にバスタオルを敷き、その上に洗面器を乗せる。
幾度も鍋の湯洗髪を繰り返すうちに、このひとときがシャワーやシャンプーを使って頭を洗う時間とは全く別世界にあるということに気づいた。
それは「静」の時なのである。
ゆっくりと髪の毛を洗いながら、自分の動きも取り巻く流れもとても静かでゆったりとしている。だから、私はその静けさにそっと耳を澄ませる。
解放した窓から入り込んで、私の肌の上を走り抜けていく風の感触。
岩の間を流れていく沢の音も、近づく春の気配に賑わい出した小鳥の声も、生き生きとした生命の音がひとつひとつ鮮明に私の中に届いてくる。
昨年亡くなった祖母は昔、とても長い髪を持っていて、普段はきりりと一つに結い上げていた。昔の人だから、やっぱりシャワーなどは使わずに、いつも洗面器の湯で髪を洗う。陽の差し込む奥座敷の鏡台の前で、丁寧に髪を梳いている祖母の姿のある風景は、小津安二郎監督の映画のワンシーンのように、静寂そのものである。私の記憶から音が欠如しているからではなく、日常生活に、人の在り方に静けさがあったためなのだろうと思う。
鍋の湯とお酢洗髪をきっかけに、そのことを再発見すると、何だか幸せな気持ちになった。その心静まる時が、私はとても好きだ。
一日だって同じ日はなく、少しずつ変わりゆく季節や風を感じながら、頭を洗うのもいいではないか。
こうして、ひとまず我が家の風呂場からはシャンプー、リンスが姿を消し、未だお酢洗髪の効果実験中である。長い間シャンプーを使い続けた頭が健康な状態に戻るには、数ヶ月という期間が必要らしいが、幸い私の頭皮もようやく脂放出のスピードを落とし始めたようで、頭と髪の調子も決して悪くない。
果てさて、これがいつまで続くのでしょうか。
でも、鍋洗髪で手に入れた一時は、これからも手放したくないなあと思う。