2006年02月23日 (木)
1年ぶりの日記
明け方近い午前5時、なぜか頭が冴えたまま。煙草を吸いに外に出ると、まだ暗い森の奥から1年ぶりのトラツグミの金属が擦れるような神秘的な鳴き声が響いてくる。毎年、春の訪れを知らせてくれる響き。真夜中過ぎにしか聞こえてこない、この音階がぼくはとっても好きだ。
トラツグミも1年ぶりだけど、そういえばこの日記も1年ぶり。ご無沙汰です。時折、「海外ですかぁ〜?」なんてメールをもらったり、「もう東京の山里から引っ越してしまったの?」なんて言われたりしながら、実はどこにも行かず「ここ」にいたのに日記も書かず、いろいろあってバタバタしながらものんびりしていて気が付いたら1年が過ぎていました。
そういえば、1年前のちょうど今頃はラフカイのお腹がポンポコに大きくなって子犬の出産間近だっだのでした。その子犬たちの近況を伝える「ラフカイ日記」も途中で子犬成長期がストップしたまま今になってしまいました。(どうも定期的に、地道にしっかりと更新するということ自体が、ぼくには不向きなのかもしれません)
その子犬たちも、その後5匹み〜んなスクスク育ち、昨年8月にはすべて新しい飼い主の元へと旅立っていったのです。南は西表島から北は青森の下北半島へと。そしてもうすぐ1歳の誕生日。飼い主と子犬たちだけで、久しぶりの再会大集合! 楽しみです。もうみんなラフカイやウルフィーと同じくらいになってるんだから、本当に犬の成長は早いものです。
昨日は1日、日中は10℃を超えるポカポカ陽気。ラフカイとウルフィーと千恵と4人で、いつも行く裏山のてっぺんまでのんびり山を歩いてきました。シジュウカラたちも、綺麗な歌声でぼくたちを迎えてくれ、ここでも「あぁ、春だなぁ」。湿気った風も、肌にジンジン熱が伝わってくる太陽の光も、小さな芽を吹き出した木々たちの姿も、春のみなぎり始めたエネルギーを伝えてくれました。
尾根のてっぺんに行く途中、ぼくたちの仲良しの大きな1本のモミの木が、ドーンと空へ突き抜けるように大地からずっしり立っています。そこへ行くたびに、まん丸でがっしりの太い幹に両手を触れて挨拶します。「こんにちは、モミの木さん! いつもありがとう!」
それから、先を勝手に突っ走って消えてゆくラフカイとウルフィーを追って、さらにさらに尾根を天へと登っていきます。立派なヤマザクラ、ちょっと曲がった赤松、花粉をぶっ飛ばす準備をしている元気いっぱいのスギとヒノキ、白い樹皮が綺麗なシラカシ、波打つ肌が美しいイヌシデなどなどの入り交じった森が、「また来てくれたね」と、ぼくたちを迎えてくれます。
みんなに挨拶しながら、尾根のてっぺんに着くと、まだこんもり地面に積もっている落ち葉の上に、でんと座って深呼吸。「みんないつもありがとう!」、ここでもいつも挨拶です。それから寝転がって、背中に大地を感じ、そして頬を撫でる風や、大きな空を身体いっぱいで実感します。
東の大地の精霊に、南の風の精霊に、西の水の精霊に、北の火の精霊に、ありがとう!
母なる地球に、天なる父に、すべてのつながるものたちに、ありがとう!
そうして、あらゆるもののつながりの中に、今こうして自分があることを知ります。
そのとき、ぼくは幸せです。揺るぎない魂が、しっかりと真ん中にあることを感じることができます。
ぼくは一部であり、またすべてである、そんな確かな想いに包み込まれていきます。
そうすると時々、森の木々たちとも、鳥たちとも、風とも、太陽とも、ラフカイやウルフィーとも、遠くにいる誰かとも、話ができることがあります。それは、言葉を超えた会話です。どんなに遠く離れたものたちとも、電話もインターネットもいらず、いつでも話ができてしまいます。
なんてことを書くと、怪しい魔法使いのようですが、別に特別なことじゃありません。本当は誰でもできる簡単なことです。
昔の人たちは、みんな当たり前にやっていました。森を歩けば、動物に、木々に、石ころに話しかけ、どこへ行けば水が居るのか、どっちの方に獲物が待っていてくれるか、聞いていました。ほんのちょっと昔までは。ぼくも、ときどき、ほんのちょっとだけ、そんな時代の人たちの話し方を想い出すことがあるだけです。
耳をすませば、いつでも聞こえてきます。やさしく、暖かく、ささやきかけるたくさんの声が。みんなそうして、語り合いながら世界は息づいているんだと思います。
なんてことを、ふと想う夜明け前です。
さあ今日は、どんなものたちと、どんな話ができるのか・・・愉しみです。
おやすみなさい。
↑Top | 文:田中勝之